きっと、ふるえる

『WONDER ワンダー』
R.J.パラシオ/訳:中井はるの

第62回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(小学校高学年の部)


正直言って、読書感想文は、いちばん苦手な宿題だった。

小学校、中学校はもちろん、高校生になっても、夏休みの宿題でいつも一つだけ未提出のまま残ってしまい、国語の授業のとき、提出するまでずっと廊下に出されていたのを思い出す。

高校の国語のI先生(ボクが国語を好きになるきっかけをくれた恩師だ)に、遅れ遅れの果てに光瀬龍さんのジュブナイルの感想文を提出したとき、『キミ、SFを読んで、感動できるか?』と問われて、一応反論を試みてはみたが、薄っぺらい自分の感想文が、何より自分の感動の無さを物語っていたワケで、それはそれは、不毛な抵抗だった。

要するに、選ぶ本が良くなかったのだろうと、今となっては、そう思わずにはいられない。

本書の帯にあるキャッチコピー『きっと、ふるえる』

実際、読み進めながら、何度ふるえたことか。



小学校高学年の課題図書なので、サクサク読み進められたが、内容は濃厚だった。

生まれつき、顔に障がいを抱えている主人公の少年オーガスト(オギー)。

ボクの生活圏内にも、同じような問題を抱えているオトナの方がいて、コンビニなどで出会うと、やっぱり直視できない自分がいる。



『もしも、自分がその人だったら…』


想像するのは、簡単ではない。

さまざまな感情が、交通整理されないまま、激しく行き交う。



自分が、同じコミュニティで交流することになったら、どうだろう?


それも、アタマの中で考えただけでは、何も分からない。



人は、見た目だけで、判断しがちかと思う。

見くびってはいけない。

人は誰しも感情があり、意志がある。

もし、見た目だけで自分より見下したりすれば、足をすくわれることだろう。

もしかしたら、気高く誇りを持って生きているかもしれない。

もしかしたら、強かに狡賢く生きているかもしれない。

どんな人でも、見た目だけでは分からないものだ。



本書は、一人称で語られる。

オギー自身が自分のこと、そして自分を取り巻く人たちのことを語り始め、章ごとに、オギーの姉、姉のボーイフレンド、姉の幼なじみの親友、オギーの通い始めた学校(日本だと小学校の高学年に当たる)の二人の生徒たちらが、それぞれの視点で、オギーとの関わりを通して募る、自分たちの思いを語って行く。

そして、それらの思いは、障がい者に相対するときに、ふとココロの裡に浮かんできてしまう、時に残酷で、しかし正直な気持ちであり、どれも単純な善意だけでは済まない、複雑な感情の入り混じったものだ。


例えば、クラスの男子一人とその母親は、最後までオギーを認めることなく学校を去って行く。


また、オギーのことを誰よりも心配し、他人の残酷な好奇の目から守ってきた姉でさえ、たまにオギーに対して恐怖を感じたりすることがある。



単純にストーリーを『良かった良かった』に落とし込まず、読む者自身に、障がい者(だけでなく、自分とは異なる要素を持っているさまざまな人)との関わり方について、考えさせる物語だ。




アタマで理屈を理解しても、実際に関わってみなけりゃ、相手のことは分からない。

もしかしたら、魂を揺さぶられるような、凄い出逢いがあるかもしれない。

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