高校1年生から2年生に上がる春休み初日のこと。
高校の地学部(事実上の天文部)のメンバー同士で、プラネタリウムを見に行く約束をしていた。
その頃2、3日前から愛猫の『たま』の体調が悪く、ほとんどコタツ布団にくるまれながら、青息吐息の状態だった。
たまの様子が気になって仕方なかったが、仲間との約束もあり、後ろ髪引かれる思いで、玄関のドアノブを少し回した瞬間だった。
うぎゃあーーーーーッ!!!
今でも耳朶にこびり付いて消えない、たまの断末魔の絶叫・・・
振り向いた瞬間、たまは上体を数十センチも宙に仰け反らせ、そのまま血を吹いてコタツ敷きの上に崩れ落ちてしまった。
最期のトキを識り、『わたしを置いて行かないで!』と、たまは全身全霊をかけて、ボクを呼び止めたように思えた。
ボクは、泣き崩れた。
泣きながら、たまの遺骸を抱えた。
泣きじゃくり、嗚咽をあげ、三歳児のように喚き続けた。
1時間以上もそういったありさまだったので、祖母が『そんなに泣いたら、アホウになるで!』と、ボクを叱った。
それでも、さらに小一時間ばかり、泣きじゃくった。
たまは、まだ一歳になっていなかった。
冬には、毎晩ボクの部屋のドアをカリカリ爪の先で引っ掻いて開け、ボクの首元から布団の中に潜り込み、やがて息苦しくなると、布団のちょうどお腹の上でカラダを休めるのが常だった。
それまで数匹のネコを飼っていたが、こんなに愛しいヤツはいなかった。
たまの壮絶な死を目の当たりにし、ボクはあまりの深い悲しみに暮れ、春休みの間中、何にもできない、何にも考えられないデクノボウになっていた。
もう、それ以来、ネコは飼えなくなってしまった。
大好きなネコを飼えない淋しさを紛らすために、いつしか、ネコの置物を買うようになっていた。
右はウルグアイ製、左はインドネシアかタイだったかと思う。
ホントはもっとあったはずなんだが、引越しのときに、どっかに忘れてしまったようだ。
いつか、独りきりになったとき、もう一度ネコを飼いたいと思っている。
(この記事を書きながら、思い出してまた号泣してしまった)
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