年の瀬、病院にて

毎月通っている総合病院の内科の診察待ち。

年々、検査で引っかかることが増えていくのは、仕方ないのだろうが、2週間前の人間ドックで、胃潰瘍が見つかった。
特に意識せずに過ごしてきたつもりだったが、体重が2キロも減っていた。
他にも、秋に生検でグレー判定を受けたばかりのガンの指標が更に異常に上昇していたり、また別のガンの精密検査を指示された項目もあったりで、なんだか気が重い。

たぶん、今回の診察で、10年余りお世話になったこの病院から、町医者にかかるよう指示されることになるのだと思うが、同じ内科の疾患がいくつか疑われる今のタイミングは、なんだか見放されるようで、不安だ。

だんだん、何かにつけ『死』を意識せずにはいられない歳になったと思う。
まだ、死にたくないと思う一方で、もう特にしたい事も無くなったかな、と思うことも増えた。

でも、まだ死にたくない自分がいる。
まだ、ほとんどあり得ない事を、期待したい自分がいる。
まあ、相手のあることだから、限りなくゼロに近い漸近線を描いていることは間違いないのだが、引導を渡されるまでは、諦めきれないのが人情というもの。

文字通り、引導を渡されたら、もう、ホントに生きていくの、面倒くさいかな?

ボクが死んだ後の世界を妄想して、毎夜ひとりで泣き続けた幼い日々。
人は亡くなったら、なんにも残らないんだよ。
例え、ボクのことを知っている人がいたとしても、『去る者は日々に疎し』。
誰も思い出さなくなった時、人は完全なる死を迎えるんだ。

いったい、ボクのことを、誰が思い出してくれるというんだい?

どこまでも、ネガティブ思考。
この面倒くさい性分とも、オサラバしたいよな。

でも、人をスキになってしまった今だけは、それが短命であったとしても、せめてスキでいられるうちは、精一杯、正直に生きていたいと思う。
例え、何百億光年彼方のアナタだと、分かっていても。

毎年、年の瀬に思うこと。

胃潰瘍でどんなに胃が痛くても、黒く苦い水をやめられない。

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