もう一度、青い車の思い出を書いてみる。
大学4年生の春は、モラトリアムの終わりを前に、けだるいカンジで始まった。
いつものように講義をサボって、部室のスタジオで、ひとりゴロゴロとぬるま湯につかっていた。
不意に部室の入り口の重いドアが開いた。
「見学、いいですか?」
新入生。
高校を卒業したばかりの18歳。
まだ手垢のついてない、初々しい少女だった。
ボクはたぶん、一瞬、呆けた顔をしていたと思う。
けっこう、好みのタイプだと思った。
部の説明を一通りして、いろいろ雑談をしていると、2年生のPの高校の後輩だと分かった。我が家と決して近くではないが、ボクと同じとなり町の出身だった。
なぜか、その日、ボクは車で彼女を家に送ることになった。
それまで、ただの一度も女子とつきあったことのなかったボクが、そんな展開になったのは奇跡だと思った。
それから週に何度か、帰りが遅くなったときには車で送るようになっていた。
でも、それ以上の進展はなかった。
彼女が大学祭の実行委員になり、部室にほとんど立ち寄らなくなったので、送りのとき以外に顔を合わすことが無くなったからだ。
そして。
夏休みに、彼女が実習を兼ねたアルバイトのため、北海道へ行くことが分かった。
夏休みに入ると、いよいよしばらく会えなくなる。
夏休み前、最後の送り。
彼女の家の最寄駅で車を停め、ボクは思い切って、切ない思いを彼女に告げた。
彼女は驚いたように、そして困ったように表情を変え、黙り込んだ。
気まずい沈黙・・・
やがて、彼女は弱々しい声で、ぽつりと告げた。
「ごめんなさい・・・お兄さんみたいに思っていたから・・・」
イチバン面倒くさい断られ方だ。
彼女の、ボクを傷つけまいという気持ちは分かったが、気遣いをさせてしまったことで余計に傷ついてしまった。
それから、彼女とは道ですれ違っても、あいさつすらまともに出来ないような、ぎこちない関係になってしまった。
それからしばらくして大学祭が終わったあとのこと。
ボクは、またまたポツンとひとり、部室で黄昏ていた。
冬の日はすっかり落ち、夜の帳が寒気とともに下りていた午後7時ごろだったと思う。
不意に部室の入り口の重いドアが開いた。
振り向くと、彼女が立っていた。
ボクしかいないことに気づいた彼女は、まるで物言わぬネコにでも語りかけるような優しい口調で、ひとりごとのように何かつぶやいた。
ボクも、ひとりごとのような口調で何か応じていた。
ボクらはそうして互いに目を合わせぬまま、二言三言、つぶやいていた。
まるで無意味な会話。
でも。
そのときだけ、彼女は優しいオーラを発していたように思えた。
やがて、彼女は、静かに部室を後にした。
そのまま、彼女は部をやめてしまった。
あとから彼女の友人に教えられたのだが、元々、厳格な父親との約束で、1年間だけの期限付きで部活を許され、あとは学業に専念することになっていたのだそうだ。
彼女が送りの車の中で語ったことで、ただひとつ鮮明に覚えているのが、
「車のことはよく分からないけれど、免許を取ったら青い車に乗りたい」
という言葉だった。
当時は青い車がほとんど走って無かったので、強く印象に残っていた。
10年前に初めて青い車を買った。
3年前に、ふたたび青い車に乗り換えた。
ボクも、青い車がスキだったのかもしれない。
彼女は、どんな色の車に乗っているのだろう。
0コメント