掌編『名前のない週末』あるいは『知らない国のおとぎ話』

 去年の春まで、日常的にココロが激しく動くことなんて、ほぼ無かった。

 コロナのおかげで、ライブに行けなくなってからは、尚のこと。

 まぁ、死んだように生きてたのかも知れない。



 5月、思いがけない部下の死に直面し、ボクは、激しく動揺した。

 自分の不甲斐なさを責めたし、無力感に苛まれてもいた。

 亡くなった部下と仲が良かったあのコには、なんと告げたら良いんだろう。きっと、ボク以上に激しく動揺してしまうに違いないと、迷いに迷っていた。



 亡くなったらしい、という知らせを受けたのは亡くなった翌朝、職場で。まだ、確かな情報が得られずに、胸がザワザワしていた。

 あのコが遅番で出勤して以降も、確かな情報を公開できない状況が続いていたが、夕方近くなって、しかるべき機関からの電話をあのコが受けてしまった。

 おそらく、亡くなった部下の事で、職場の責任者に確認したい、という内容を、あのコは聞いたはずだ。しかるべき機関の名前を聞いて、用件を聞いて、あのコが動揺したのは、間違いないだろう。

 だが、あのコは、何も気づいてない風を装って、電話をボクに取り次いだ。

 ボクは、職場内に気取られないように、慎重に言葉を選びながら電話応対したが、あのコの背中が、ボクの受け答えを少しも聴き逃すまいとして、ピリピリと緊張感をみなぎらせてるように思えてしかたなかった。

 しかるべき機関からの電話により、部下の死が確定してしまった。

 憔悴したボクの様子に、あのコもただ事ならない状況が起こったことに、ハッキリ気づいたことだろう。


 亡くなったことを告げられないまま、ボクはあのコが帰宅の途に着くのを見送ってしまった。

 その時の彼女の、なんとなく後ろ髪引かれるような、なんとも不安定な表情を、未だに忘れることができない。うすうす気づいているけど、自分から聞き出すのも怖い、そんな表情だった。



 ボクは、以前から、あのコのことが好きだった。好きだったから、こういう時、どんな振る舞いをするかも、想像できていたと思う。



 翌日、あのコは休みだった。

 あのコだけがいない職場で、ボクは部下の死を、端的に伝えた。

 午後3時を回ってから、意を決して、あのコに電話することにした。

 とりあえず、SMSで電話しても良いかどうかを尋ねてみた。

 割とすぐに返事があり、ちょうど今しがた、外出先から家に着いたところだと。

 別室にこもって、携帯から電話した。

 呼出コールが聞こえる間、なんとも胸が苦しくて、出来ればこのまま電話に出ないでほしいとまで思った。

 でも。あのコは、アッサリと電話に出てしまった。
 ボクは、包み隠さず、自分の知り得た事実を客観的に告げようと思っていた。だが、実際しゃべり始めると、自分自身の動揺を抑えるのに、いっぱいいっぱいだった。

 やはり、あのコは悲鳴をあげ、泣きじゃくってしまった。

 釣られて、ボクも涙をこらえきれなくなって、上ずりがちな声で、あのコを慰めていた。

 通り一遍の慰めの言葉なんか、あのコの胸に響くはずもなかったけど、一所懸命に、言葉を紡いで、彼女の気持ちに寄り添おうと試みていた。


 昨日の帰り間際に引き留めていたら、ボクは、もっと尋常じゃいられなかったと思う。

 だから、電話で良かったんだと思ってる。



 次の出勤日、あのコは仕事を休んだ。のど風邪をわずらってしまったとのこと。眠れず、泣きすぎてしまったのかも知れない。

 ボクも休みだったので、あのコは職場に電話したあと、ボクにSMSで休むと連絡して来た。

 それからあのコは、毎日休みの連絡をSMSで寄こして来た。それは実に1週間にも及んだ。

 もちろん、こんなことは、初めてのことだ。

 心配でしかたなくて、毎日のようにSMSで様子を伺いつつ、少しでもあのコが前向きに考えられるよう、一所懸命に励ましたり、慰めたり、言葉を送り続けた。


 前より一層、あのコのことが気になってしかたなくなっていた。

 エゴとか偽善とか言われるかも知れないが、あのコまで続けざまに失うことになったら、ボクはもう生きている意味を完全に断たれてしまっていたに違いないと思ってる。

 ボクの中で、次第にあのコは、かけがえの無いない存在になっていたみたい。




 だから。

 たった今、この先の人生の選択を迫られたとした時、あのコのいない人生を選ぶ選択ができるはずもない。

 たとえ、その選択の先にあるのが、地獄だったとしても、今は、選ぶ事しかできない。

 選んだとて、あのコの気持ちはボクに向いていない、と言う切ない事実は、如何ともしがたいのだけれども。

〔2023年1月、寒さにふるえながら見た夢の中の話〕

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