父のガンの執刀をしてくださった、大学病院の担当医師の診察を受けに行った。
本来なら、父が受診しなければならないところだが、朝から絶食で臨んだ午前中のPET-CT検査で疲れている上、入院中で軟菜しか食べてないので外食がしづらかったため、面倒だが30kmの道のりを戻って父を入院先の病院に預け、また大学病院へボクだけ検査の結果のみ聞きに戻ったのだ。
病棟へ席を外していた担当医師は、軽く笑みを浮かべながら診察室に戻ると、ボクの背中を軽く押して、一緒に入るよう促した。
医師は、診察室に入ると直ぐに午前中の検査の結果を喋りだしながら、ノド飴を一個渡してくれた。長引く介護生活に対する、ちょっとしたねぎらいのつもりかもしれない。
検査の結果、転移は認められないが、仙骨あたりに炎症が見られるとのことだった。褥瘡の疑いがあるので、入院先のケアが足りてないかもしれないとも。
次回、半年後の予約を一応したが、もし現状より日常生活自立度が下がり、入院が続いているようなら、これで大学病院とは、一端手が切れることになるかもしれない。
父は、この夏で、術後丸5年になる。
大学病院の医師は、術後から5年後の生存率ばかり口にしていたが、父のこの5年間を見ていると、ホントに摘出術をして良かったのか、ボクには全く分からない。
手術の結果、日常生活自立度は格段に下がった。自分ができるはず、と思うことができないことばかりになって、他人の手を煩わせる負い目を受忍しながら生きていかなければならなくなった。
果たして父は、それでも命が助かって良かったと、思ったのかどうか?
父は、自分が他人の手を煩わせるだけでなく、他人の役に立つことができない存在になってしまったことが、辛くて仕方ないようにしか見えなかった。
それでも生きている。
今の父にとって、生きる糧は、いったい何なんだろうか?
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