中学1年生の秋だったと思う。
教育実習のY先生がボクのクラスに来た。
背は中学生くらいと低く、ややぽちゃ気味だったが、大きくキレイな瞳がぱっちり開いた、かわいい先生だった。
地元出身だったが、みごとな東京ことばで気さくに話しかける、ちょっと垢抜けた二十歳のお姉さんという感じで、先生は、たちまちクラスの人気者になり、休み時間も生徒たちに囲まれ、次から次へと質問攻めにあっているようなありさまだった。
当時、人見知りが激しく、いじめられっ子だったボクは、Y先生に話しかけたいと思いながらも、遠巻きにクラスの連中の様子を眺めているだけだった。
実習期間が終わりに近づいたころ、クラスの何人かが、授業が午前中で終わる土曜日に、中学校の近くの公園で、Y先生と遊ぶ約束を取り付けたらしかった。
ボクも、家に帰ってから、公園に自転車で向かった。
公園に近づくと、クラスの連中とY先生が、オニごっこか何かで遊んでいる歓声が聞こえた。
様子を見に来てはみたものの、やはり遊びの輪に入れないまま、ボクは公園の入り口と、近くの神社とを行ったり来たりして時間を費やしていた。
そのうち、Y先生がボクを見つけて、いっしょに遊ぼうと言ってくれた。
うれしかった。
でも、クラスの連中といっしょには遊べず、ちょっと遊びの輪に近づいただけで、やはりボクは傍観者のままでいた。
やがて、日が暮れかかり、みんなでY先生を自宅まで見送って帰ろうということになったらしい。
Y先生の家は、誰もしらない。
Y先生を先頭に、中学生の自転車集団が、夕陽に向かって帰っていく。
ボクも、あとを追った。
ところが・・・
Y先生の家までもう少しというところで、自転車のチェーンが外れてしまった。
最後尾だったボクのアクシデントには誰も気づかず、自転車の集団はみるみる遠ざかっていった。
ボクは、泣きそうになりながら、チェーンを掛け直そうともがいた。
しかし、気が急くばかりで、うまくチェーンが掛かってくれない。
両手がオイルまみれになり、ぬぐった顔にもオイルが付いた。
しかも、その日に限って、何も手をぬぐうモノを持っていなかった。
10分近くかけてやっとチェーンを掛け直すと、オイルでガッツリ汚さないように薬指と小指、親指でハンドルを握りながら、ボクはY先生のあとを追った。
もう、すっかり秋の陽は傾き、空は夕焼けから深く暗い茜色になりかかっていた。
道なりに先に進んだが、誰にも出会わなかった。
やがて少し道が開けたところで立ち止まると、ボクはどこかでまだY先生とみんながいるんじゃないかと思い、辺りを見回した。
しかし、クラスの連中は、どこにもいなかった。
ガックリとうなだれて自転車を方向転換し、家に帰ろうと思った。
そのとき、後ろから、
「あら、Fくん、どうしたの? もうみんな帰っちゃったよ」
屈託のない、明るいY先生の声だ。
ボクは、しどろもどろになりながら、事情を説明した。
「そうかぁ。それは大変だったね。でも、今日は来てくれてうれしかったよ。ありがとう」
そう明るく言って、Y先生はボクに右手を差し伸べた。
「先生・・・あの・・・チェーンさわって、手、汚いですから・・・」
ボクは尻込みした。
するとY先生は間髪入れず、全く屈託のない笑顔でこう言ったのだ。
「そんなの関係ないよ~。さ、握手しよ」
ボクはおずおずと右手を出した。
Y先生は、チェーンオイルまみれのボクの右手を両手でやさしくつつむと、すぐにぎゅっと力強くにぎり、しゅっしゅっと2回ふった。
「ホントに今日はありがとうね。気をつけて帰ってね」
Y先生は、オイルまみれになった自分の手をまったく気にすることなく、終始明るくふるまってくれた。
ボクは感激のあまり、じわっと涙ぐむと、Y先生に泣き顔を見られないように、そそくさと自転車にまたがって、その場をあとにした。
Y先生にちゃんとあいさつできたかどうかも覚えていない。
たぶん、しどろもどろになりながら、何か言ったのだろうとは思う。
深く暗い茜色の空の下、自転車をこぎながら、ボクは一生分の幸福感をかみしめていた。
ただ、ホントに、それが最初で最後の、最高の幸福感を感じるできごとになろうとは、思春期真っ只中の当時のボクは、知る由もなかった。
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