ひとり

こんなしと降る雨の日には、篠原美也子さんの「ひとり」を聞いて涙していたころを思い出す。


人との関わりが面倒くさいと思いながらひとりで過ごしていても、人が恋しいと思って誰かに関わっていってしまう矛盾を抱えている。


ボクは、誰かに甘えたいのだと思う。


だけど、子どものころから甘え方をよく知らない。

親に甘えたい時期には、弟が生まれ、「おまえはひとりで放っておいても、大人しく過ごしてくれるから楽だ」と親に言われれば、期待に応えて「ひとり上手」を演じないわけにはいかない。結果、弟は「あまえ上手」で要領よく生き、兄は「ひとり上手」で何もかも面倒なことを背負いながら生きていくことになる。


誰かに甘えることは、その誰かに負担を強いることだ。

いや、人間は所詮、ひとりでは生きてゆけないのだから、誰かに頼ることも仕方ないのだと言われても、確かにアタマではそういうことも理解できるけれども、誰かに頼ることが、心の負担にしかならないのだ。


でも、ひとりだと、さびしくて仕方なくなるときがある。


家族への責任や仕事への責任を離れ、全く今までのしがらみに関係ない人に関わっていっても、結局、その人たちと馴染んだころに自分のことを話してしまうと、また相手に負担をかけてしまったような気がして、気が滅入ってしまう。

しまいには自虐的に相手にお詫びを請いながら、却って気まずい雰囲気を作ってしまい、気まずいまま自ら関係を終わらせてしまうのだ。

そんなとき、ボクはボク自身が内包する毒に侵され中毒症状を呈し、他人にもその毒を撒き散らしてしまっているのではないかという思いに囚われ、壊れていく。


雨はつめたい。

でも、雨はやさしく、あまねく地上に降り注ぐ。

慈愛に満ちた雨を降らせることができたら。

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